オナホールを廃棄する時

人工物には、必ず“終わり”が存在する。私の愛用していたオナホール、ボクのおなぺっとも、人工物の例に漏れず、終わりを迎えてしまった。他の工業製品と異なり、個人がオナホールを修繕する手立ては存在しない。オナホールを捨てる時、私は、オナホールとして扱われる、二次元世界の少女達に思いを馳せる。

ブサ男達のオナホールとして酷使された少女達にも、このような廃棄の時は来るに違いない。その時、少女達、大抵の場合は「精神が崩壊」している、は、何を感じ、何を思うのだろうか。「精神が崩壊」している故に、彼女達は、きっと何も感じないのだろう。もしかすると、そのように、不幸だとされている事を何も感じない、その姿勢こそが、局所的な幸せに繋がるのかもしれない。

曲がった性欲を持つ人達の欲望を満たすためだけに産まれた彼女達の、幸せを享受する存在たりえるその姿は、まさに、現代に疲れた現代人達が求める理想なのではなかろうか。BEEFEATER GINに漬けられた私の頭には、そのように写ってしまうのである。