彼女達の物語

YouTuberの、食玩を唯淡々と紹介する動画を見るといつも、「妖精さん」達の事を思い浮かべてしまう。

彼女達は、男性向け性的コンテンツとして、この世界に生を受ける。成人向けコミックの登場人物がそうであるように、彼女達が、性的コンテンツとして消費されない未来は存在しない。目的に最適化された状態で産み落とされる事が多く、彼女達の大半は、アイデンティティを知らない。

コンテンツの歯車として生産され、消費される彼女達。その姿に、性的興奮だけではなく、あるはずのない未来や過去を感じだしたのは何時からだろうか。その感覚は、私に、彼女達に物語を付与したいという独善的な欲求をもたらした。

使い捨ての彼女達に付与される、私のための物語。彼女達を私物化するその行為は、私に、性的快感ではない、屈折した何かを植え付ける。私にとって、精神のための唯のオナホールでしかなかった彼女達が、魅力的な女性に見えだしたのは、屈折した何かが、視覚を屈折させ始めた時だった。

その何かが与えてくれる、精神的な充足に支配され、私は物語を追い求める。男性器に精神・肉体共に破壊された彼女達が歩む事のできた物語を、日常の中や、無関係な作品に見るという行為は、最高のカタルシスを与えてくれる。

彼女達が日常的に触れるサイズの模造品は、カタルシスを補充する材料として十分だ。性的コンテンツとして、男達に、徹底的に搾取された彼女達が、療養所で夕食を調理している様子を、模造品を通して見る。すると、私の体に、温かく、ねばついた何かが流れこむ。彼女達の物語が流れこんでくるのだ。

彼女達の物語は、コンテンツとして消化された後も続く。その物語を追い求め、私は今日も、色眼鏡を通して世界を見る。独善的なカタルシスは、すぐそこに転がっている。