夏の夕暮れ、セミが法定の休憩時間を取る時はいつも、嗄れたあの声を思い出す。
物心の付く前、ボタンを押すだけでも十分楽しめた頃、仕事の都合で母方の祖父母の家へ連れていかれた事がある。
寂れた幹線道路沿いの住宅地にあるその家で、どのように過ごしていたかは殆ど覚えていない。
覚えている事は唯一つ、テトリスフラッシュが映しだした、「LOSE」という文字を見た時に嗄れ声の祖母が発した、半場諦めた「よかったねぇ」という言葉だけだ。
あの日以降、祖母に会う事は無くなった。今思い返してみると、何らかの事情が発生したのだろうと予想が付く。しかし、あの頃の私にそのような事情を察する事ができる訳も無く、少しばかり寂しがった事を覚えている。
数年前、帰省した時に、あの家の近辺まで足を運んだ事がある。曖昧な記憶のせいだろうか、幼少期の一時期を過ごしたあの家を見つける事がついにできなかった。
あの日、嗄れ声の中に諦めを感じたのは、もしかすると子供ながらにこうなる事を予期していたからなのかもしれない。