バーチャリティ

サウスランドアトモスフィアがフォトショップされた背景と、海の淡水に濡れるアジアンガール。JPEG特有のブロックノイズが、その姿を妖しく彩っている。故郷は、そこに居る人達は、このような安っぽいリゾート地そのものだっただろうか。

最適化に晒されるたび、故郷を写したこの写真のように、自分が自分で無くなっていくような気がする。全身にグリッチを纏い、ヴォコーダーに捻り潰された声帯で甲高く嘆いた彼は、元気にしているのだろうか。収容物を最適化から保護する術を教えてくれた彼は、最適化に全てを回収されたと言っていた。

あの言葉を聞いてから、思い出を取り集めたこのポーチが受けた、度重なる最適化に思考力を奪われ続けている。表に印刷されたパステル調のキャラクターは、はたして本当にこの姿だっただろうか。最適化によって変質させられてしまったのではないか、外への希望に魅せられていた頃に詰め込んだ飴やお薬は、もはや焼成の果てにあるのではないか。戯言のような考えが頭を擡げ、私を苦しませる。

全てが素朴だったあの頃、バーチャには夢があった。永い時間が経った後もそれは変わらない。そう約束されてさえいれば、もう少しだけ生き易かったはずなのに、そのようにはならなかった。苦痛を喜ぶことそれ自体が、もしかすると、この辺境の煉獄への招待状だったのかもしれない。